都会のオアシス 迷宮の森 「日比谷公園」(本多静六 設計 1903年竣工)
(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組 )
<2020.7.4> 主な解説より引用)
都会のオアシス 迷宮の森 「日比谷公園」(本多静六 設計 1903年竣工)
いまでも、通用するテーマである。
竣工は明治36年(1903年)の20世紀初頭。公園の所在地は、「東京都千代田区日比谷公園1」。皇居にも隣接するこの場所は、まさに東京のど真ん中にある。広さは16ヘクタールで、東京ドーム3.5個分にあたる。
日本初・西洋式の近代公園の誕生で沸いた園内には、首賭けイチョウ(樹齢:約500年)をはじめ、江戸城の石が使用されている直径30メートルの大噴水、日比谷公会堂、日比谷図書館、日比谷野外音楽堂である「小音楽堂」(日本初の野外音楽堂)などが点在する。
また、大地の芸術として「心字池」「雲形池」といった池の配置と、「第一花壇」には、西洋の花であるバラやチューリップなどが植えられた。
この公園の設計者は、本多静六(1866-1952) 「公園の父」と呼ばれた人物で、林学博士でもあった。
この公園には、多くの門があるが、鍵のかかる門はひとつも存在しない。
彼は、当時の模様を語った。「公園に関する本を数冊持っているだけだから、はなはだ心細かった」「だが、日本には専門家がいないので、私は、異常な希望と決心をもちつつやり始めた」と。
一方で、「門に扉を設けず、夜間に花や木を盗まれてしまったら、どうするつもりか」と、当時の役人から叱責をかったが、こう反論したという。
「公園の花弁が盗まれないくらいに、国民の公徳がすすまねば、日本はもはや亡国である。菓子屋の小僧が菓子に食べ飽きるように、私は公園に沢山の花卉を植えて、国民が花を盗む気がしないようにするつもりである」と。
また、この公園では3つの「洋」のこだわりが示すように、「西洋の花」「洋楽」「洋食」にこだわった。
園内にある「松本楼」は、公園とともに開業し今年で117年になる。
当時は、公園の外側に「鹿鳴館」があった時代で、そういう方が馬車に乗って松本楼に来ていたという。大正時代に入ってからも、「モボ・モガ」(モダンボーイ・モダンガール)という格好いい人々が集い、「松本楼」でカレーを食べて、コーヒーを飲むのが、「当時流行の最先端」であったという。
進士五十八さん(造園学者・福井県立大学長)は語る。「この公園の森は、人や生き物たちにとっても、『全てに優しい多様な環境空間』をなしている。皇居の緑と一体となった生態系をなしている」
またいわく、「いまでも、どんな人でも、いつ行っても楽しい、いわば『幕の内弁当的なおもしろさ』を包含している独特の公園である」と。
本多静六は、設計当時から 100年先を見通して「園の完成形」を夢見ていたに違いないと感じた。その先見性には驚嘆してしまう。彼は、都内にある広大な「明治神宮の森」も手がけた人物である。
自然そのものである数多くの木々や森は、一朝一夕には決して育たないことは、自明の理(ことわり)である。それに加えて、100年先を見通しつつ自然林の生育を、人工的に植栽してしまう「林学の技」が、日比谷公園や明治神宮の森に今でも光りつづけている。
一方、新型コロナウイルスの感染を通じても、自然への畏怖というか、生態系への冒涜といったものの「ツケ」が、いままさに顕在化し、今一度立ち止まって考えよと、大自然の力が、われわれ人類に諭(さと)しているのかもしれない。
ただ、われわれ現代人には、過去の時代を振り返り「そのときの自然に還れ」ということも、もはや不可能である。
「健康・生命と経済生活の両立」という、そもそも天秤にかけられないものを、あたかも測れるものとして錯覚してはいまいか。それでも、両立・バランスをとっていくしか、この状況の決定打としての打開策は、グローバルにみてもないという、「ジレンマ」というか「宿命」のようなものを、ここ最近は肌感覚で感じている。
話は変わるが、私は「鹿鳴館」跡地が近くにあるということを知っていた。というのも、私自身の学芸員修学(2019年)の課程にあって、「新たな美術館を自らの発想で構想せよ」というテーマが課せられた。
日本の和の「踊り」や「舞い」を、個々のジャンル別に鑑賞する場や施設は、ジャンル別に国内に数多く存在する。
一方、そうした和の「踊り」や「舞い」を、ミュージアム所蔵資料・展示品とともに、歴史的に辿るとともに、新たな日本初の創作芸術のひとつとしての、「踊り」「舞い」を世界に発信するとともに、インバウンドとして世界からのビジターをおもてなす、「和の踊り・舞いの総合ミュージアム」といった施設がない。このため、「鹿鳴館」跡地を中心に、新たなミュージアム整備構想として提案した。
日比谷公園のできた、和魂洋才・殖産興業という明治初頭の日本の時代と、現代の令和初頭の時代は大きく異なる。とはいえ、日本の持ちうる固有の踊り・舞いの文化を、グローバルな視点から大きく発信していく「新たな鹿鳴館」があるとすれば、そのニーズや、日本からの芸術文化発信を、さらに推進していく時代なのではとも感じた。
クールジャパン、Beyond2020などは、アニメやコスプレ、J-POPの独壇場では決してないと思う。文化庁が京都に移転するプランも、良いきっかけではないか。
2020年8月よりプレオープン予定の、「角川武蔵野ミュージアム」。埼玉県・東所沢に開館し、図書館、博物館、美術館の機能が、複合的に融合してまもなく整備されるという。隈 研吾氏の設計による、その建物の先端性もさることながら、角川武蔵野ミュージアムが予定している、「本棚劇場」「エディットタウン」「マンガ・ラノベ図書館」といった多様な空間も、ぜひそのエッセンスを学び体感したい館のひとつになった。
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