リアルを超え幻想に入った絵師「伊藤若冲」再発見・初公開の巻

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.2>主な解説より引用)

 「美の巨人たち」の番組放映開始は、2000年4月8日。記念すべき第1回で取り上げられた作品は、「ゲルニカ」(パブロ・ピカソ作 1937年)。

 同じ2000年の10〜11月にかけて、当時全くの無名だった画家の展覧会が、京都国立博物館で開催された。 ポスターに書かれたキャッチコピーは、「若冲、こんな絵かきが日本にいた」であった。「伊藤若冲 1716-1800年」江戸中期、京都で活躍した画家。

 その後も、ブームは過熱。2016年4〜5月に開催された、「生誕300年記念 若冲展」(東京都美術館)には、1日平均で約1万5千人近い来場者が殺到。待ち時間は、最長で5時間20分を記録。昨年2018年9〜10月には、フランス・パリでも、「若冲<動植綵絵>を中心に展」(プティ・バレ美術館)が開催され、長蛇の列に。

 さらに、現代の歌姫・宇多田ヒカル「SAKURA ドロップス」(2002年)のプロモーションビデオにも、若冲の艶やかな世界に彩られている。teamLabtが手がけたNirvana(2013年)は、若冲作品のデジタルアート作品。

 伊藤若冲研究の第一人者の若冲評は、一言で言うと「エンターテイメント・奇想天外」(辻 惟雄 氏)、「絵に執着 絵だけに遊ぶ画遊人」(小林 忠 氏)、「流行に合わせて絵を描かない 強い意志を持つ人」(狩野 博幸 氏)「常人の視覚構造とは別の領域 リアルを超えた幻想に入った人」(山下裕二 氏)

 本人云く、「千載具眼の徒を竢つ」(私の絵を理解する人を千年待つ)と言い遺している。

今回番組のテーマは、「続々発見 若冲スペシャル 〜新たな傑作から人物像を探る〜」として、以下の作品が紹介された。

⚪️ 2018年 再発見 初公開 「梔子雄鶏図」(伊藤若冲 30代後半頃作 江戸中期)

⚪️ 2015年 再発見 「孔雀鳳凰図」(伊藤若冲40代初め頃作 1755年頃 白孔雀・鳳凰一対作品)

 動植綵絵で描かれた「老松白鳳図」の準備段階の作品が、「孔雀鳳凰図」と、「旭日鳳凰図 1755年 宮内庁蔵」とされる。

贅を極めた動植綵絵では、「裏彩色」という独特の色彩技法(奇跡の凄技)や、プルシャンブルーという大変高価な色を使ったりしている。最高級の顔料を使い、作品のコストを考えない絵描き。

 さらには、若冲のテクニック・変幻自在の技としての「筋目描き」、「拓本版画」

など、誤解を恐れずに言えば、いわば「旦那芸の極致」(狩野博幸 氏)の絵描きであったと。

 飽くなき探究心と豊かな経済力に裏打ちされた、若冲作品の数々・・

⚪️ 1999年 再発見 「菜蟲譜」(伊藤若冲 1790年頃作 )

 長さ11メートルの絵巻物に、98種類の野菜と、56種類の虫を描いた作品。

 若冲ならではの美意識をもとに、「整然」と「雑然」を一つの絵巻物の中で表現した。

⚪️2008年 新発見 「象と鯨図屏風」(伊藤若冲 1797年 82歳の作 滋賀県 MIHO MUSEUM蔵)

 北陸の旧家に収められていた作品で、六曲一双の屏風絵である。 

 写実とはかけ離れた絵、子どもが描いたような無邪気さ。「写生」という要素ととも  

 に、「幻想」という要素が入っていて、人生に波乱はあったものの、最後の最後まで描

 くことに執念を燃やした。(辻 惟雄 氏)

 陸の王者てある象と、海の王者である鯨が、エールの交歓をしているような構図。

⚪️ 2018年 新発見 「鶏図押絵貼屏風」(伊藤若冲 作 江戸中期)

 「墨一色」で描かれていて、鶏のアニメーションのような動きを感じる。若冲は、絵を描くことが、即人生そのものであった類い稀な人。

 江戸時代の絵画史は、かつては「流派の歴史」として語るのが一般的であった。一方で、若冲はと言えば、基本、流派に属さないので、従来的な流派の歴史には載らないが、こんなに奇抜で、面白い表現をした人がいる。(山下 裕二 氏)

今回は、60分スペシャルとして、いつもとは違いかなり長い解説内容となった。「美の巨人たち」番組の最後には、つぎのような言葉が紹介され、番組を閉じている。

 はるか時を遡り、作品から垣間見えた、知られざる画家の素顔。輝く色彩が伝えるのは、絵筆にすべてをかけた情熱。独特なモチーフに現れた、「奇想の絵師の奥深い真実」。生きとし、生けるものへの「優しいまなざし」しかし、「伊藤若冲の本当の姿」は、さらなる発見に委ねられていると・・・

注) 「奇想の系譜展」(東京都美術館にて 4/7まで展示中)

(番組を視聴しての私の感想綴り)

 「美の巨人たち」本番組がスタートした2000年というミレニアムイヤーの秋に、伊藤若冲の展示会が、京都で開催された。しかし、当時この時点で、まだ無名の画家であったというのが、まずもって驚いた。

 私自身はというと、その6年後の2016年4〜5月にかけて、東京都美術館に混雑を覚悟で向かったのを覚えている。ちょうど、ゴーデンウィークの谷間の日だったにもかかわらず、約40分の待ち時間で、奇跡的に?中へ入れた。その後、5月にすすむに連れて、連日のフィーパーぶりが報道され、5時間を超える長蛇の列ということを聞きまたまた驚いた。

 今回の番組では、その後に新たな再発見された作品、また初公開された作品の紹介を通して、改めて奇想天外の絵師、伊藤若冲という人物の、「真の姿」に迫ろうとするものであった。

 結論から言えば、いまだに謎多き部分が多いのだということが、かろうじてわかった程度ではないか。若冲は、若い頃から中国絵画(特に南宋時代あたりが中心か)の模写を、少なくとも1000枚は描いている。

 その道のプロになるには、10000時間の修行が必要として、10年間で達成しようとすると、1日3時間の学習、練習、修行といったものを、土日祝日含め1日も欠かさずに、10年間やり続けて、到達できるレベルということになる。

 人生100年時代、「年齢は関係ない」としても、なにごともまずは、血の滲むような努力があってのことになるのか。

 さて、今回の紹介作品の中で、特に印象に残った作品は、2008年に新発見された

「象と鯨図屏風」(1797年作 MIHO MUSEUM蔵)である。

 六曲一双の屏風絵に、この絵を描いたのは若冲82歳の時というから、驚きであった。

「年齢は関係ない」と言いつつも、やはりこんなにユーモラスに、大胆に、そして無邪気に、描けるものだろうか。陸の王者てある象と、海の王者である鯨が、エールの交歓をしているような構図とは、言い得て妙である。

 あれほど緻密に、リアルに、精緻に、鶏を描ききる類稀なる才能の持ち主が、そのリアルを超えて、「幻想」の域に達するほどの境地に、どうしたら至ることができるのか。観ることができるのか。

 経験したことのない未知の領域故に、軽々に語れることではないが、天才というものの才能は、得てして、リアルを超えて、なおほのかに、かすかに、しかしながら、確固として観えてくる世界、普遍性の追求と精神世界のリアルといったものが、想像の域ではあるが、垣間見えるようになるのかどうか・・・

 山下裕二氏は、「若冲の入れ込み方は、並みの画家とはケタはずれ」「こういう画家の凄さというのは、作品を観ればわかる」と語った。わかる領域はたしかにあるが、それを超えて、なおわからない領域にまで、達することのできない私を含めた凡人の理解を、超える領域がたしかにあるのかと・・・リアルを超えたリアルの世界。

 「絵が人生のすべて」と言い切れるほどに、ひたすら没頭して描き、それを人生の最後ま決してブレずに、貫き通す覚悟というか、「意志の硬い志<こころざし>の人」であったことは、まちがいないのだろう。

写真: 「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.2>より転載。

上図: 「象と鯨図屏風」(1797年作 滋賀県・信楽町 MIHO MUSEUM蔵)

下の左図: 2018年 再発見 初公開 「梔子雄鶏図」(伊藤若冲 30代後半頃作 江戸中期)

下の右図: 2015年 再発見 「孔雀鳳凰図」(伊藤若冲40代初め頃作 1755年頃 白孔雀・鳳凰一対作品)

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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