迫真を呼ぶ構図 最晩年の肉筆画「弘法大師修法図」(葛飾北斎 作 1844-47年 西新井大師蔵)
(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.16>主な解説より引用)
描かれた「弘法大師修法図」(1844-47年)は、迫真の構図である。
暗い夜空に細い三日月(新月寸前の月)、暗黒の闇夜が迫る中、疫病が蔓延し流行った時代に、弘法大師の必死の祈祷と祈りにより、邪鬼を十二神将の一人、伐折羅大将(金剛力士である仁王)の化身として現れた犬が、疫病で倒れた人々を例えた木に寄せつけまいと闘っているワンシーン。
まるで、「飛び出す絵本」のような構図の工夫には、「遠近法」が取り入れられていて、三層の構図により描かれた配置は、「神奈川沖浪裏」(1830-34年頃)で描かれた構図と、同じモチーフとなっている。
手前の「大波」が「鬼」、荒波に翻弄される「船」が、「疫病で倒れた人々を守ろうとする金剛力士の化身である犬」、奥の「霊峯富士」が、動じない「弘法大師」の、それぞれの配置に一致している。
現世を超えて、宇宙に至る。宗教と宇宙を見据えて、弘法大師が挑んだ大作。この絵画の大画面に、「恐怖と救い」が交差し、そこに観るものたちの「祈り」が加わる。
美術史家の河野元昭さんによれば、「北斎が最晩年に描いた肉筆画のひとつであり、最も力を込めて、我々を感動させるような肉筆画がたくさん生まれた時代は、北斎最晩年である、80代の最後の10年間である」と。「また、この絵により密教的世界観・宇宙観が、北斎を突き動かしたということは、十分に考えられる」と述べている。
「動」と「静」が織りなすドラマチックな絵。岡倉天心(1863-1913年)は、「日本の美術は、仏教の影響により写実を離れて、非常に精神的なものに行き着いている」と語っている。
(本番組視聴後の私の感想綴り)
天才絵師 葛飾北斎(1760-1849年)は、1999年アメリカの雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界゛の人物100人」で、日本人として唯一ただ一人、86位にランクインした人物でもある。
昭和58(1983)年に再発見された本絵は、東京・足立区の「西新井大師」で、毎年10月の第一土曜日に開かれている「北斎会」にて、一般公開されている。
「飛び出す絵本」とは、言いえて妙である。まさに、構図としてさりげなくというか、いやむしろ、ドラマチックなまでに、迫真の雰囲気がただよう背景には、間違いなく「遠近法」の妙味が隠されるていると直感した。
そして、秀逸なまでに同じ感動を蘇らせるのは、たしかに三層構図により描かれた、あの「神奈川沖浪裏」(1830-34年頃)の構図と、重なるということ。
同じ絵の中に、「動」と「静」があり、その二つが渾然一体となって、見事な迫真の構図を生み出している。
精神世界を、リアルな現実のもとに描くというのは、ともすると超常現象のようなものを想像しがちでもある。宇宙の法則のような、(例えば惑星の地球が、恒星である太陽の周りを回っているという宇宙のリズム)目には見えないけれど、たしかに存在するであろうリズムを、絵画に表現するとすれば、どのような構図になるのか・・・
現世を離れたユートピアのような、極楽図絵は現実逃避の図にしか映らないのか。争いや飢餓、疫病などで悩み苦しんでいる現実からの救済と、地に着いた形での理想世界の構図は、どのように描き出されるのか。
現実と理想。相互に一方を離れて気ままに描いていくのとは相違するという意味で、まさに、生身の人間の闘っている姿の一端というか、描写がこの絵にあるとすれば、「祈り」「祈祷」の真の中身が大事なのかとも思えてくる。
あと、五年の命があれば、「真正の画工となるを得べし」と、晩年に語り遺した北斎の真意はなんだったのか。伊藤若冲の「千載具眼の徒を竢つ」(私の絵を理解する人を千年待つ)千年 具眼の徒を」と同様に、興味は尽きないものとなる・・・
写真: 上「弘法大師修法図」下「神奈川沖浪裏」「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.3.16>より転載。同視聴者センターより許諾済。
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