焼き物を芸術に昇華させた陶芸家「葆光彩磁珍果文花瓶」(板谷波山 1919年)

<「美の巨人たち」放映番組(2017.6.10)からの主な解説コメントより引用>

 日本の近代陶芸の開拓者。実用的な「焼き物」を、純粋に美を創造する器としての「芸術作品」、鑑賞するための「美の器」として、陶芸美の世界を追求した。

 板谷 波山(いたや はざん)は、1872(明治5)年、茨城生まれ。名前の「波山」は、故郷の「筑波山」にちなんで名付けられた。

 理想の陶磁器づくりのためには、一切の妥協を許さなかった「超絶技巧」の技として遺憾なく発揮。その涙ぐましい努力の末に行き着いた作品が、「葆光彩磁珍果文花瓶」(ほこうさいじ ちんかもん かびん 1919<大正6>年作)である。本作品は、平成14年国の「重要文化財」に指定された。

 薄く淡いベールで包まれたような、その器の表面の色合いと綿密なタッチで繊細に描かれた美しい図柄の数々。あえて、薄絹を被せたような、霧がかかったような微妙な光の具合は、まさに湿潤な日本の気候を表現するかのよう。「葆光彩磁」(ほこうさいじ)という表現技巧は、おそらく中国やヨーロッパにも見当たらない、波山独特の技法ではないか。

 この作品は、波山が自らの「人生の結晶」として、炎の芸術に捧げた陶芸家の集大成としての「日本美の究極を体現した、芸術としての陶磁器」といってもいい。

 波山の生涯を題材にした、映画「HAZAN」は、ブルガリア・ヴァルナの国際映画祭で、グランプリを受賞している。

 番組の最後には、波山の母校でもあり、東京美術学校(現東京芸術大学)の校長であった岡倉天心の次の言葉で結ばれている。

「美術は模倣であってはならない。独創がなければ芸術ではない。

 本当の自分が出ていなければ、芸術ではない・・」と。

<番組を視聴しての私の感想綴り>

 まず目を奪われたのは、その温かで淡い表情の器の色と光沢である。

「葆光」とは「光を包み込む」の意。「珍果文」とは果物の意。枇杷(びわ)、葡萄(ぶどう)、桃(もも)をあしらい、幸運の象徴である「鳳凰」、徳を表す「羊」、知恵を表す「魚」、「寿」と「福」の字をあしらい、器全体に、「永遠の幸福」を表現したという。

 今日でいう、パステルカラーに近い色彩表現か、心が癒され、溶け込んでいくかのような優しい色合いである。

 器の厚さは、長短でもわずかに5〜8ミリ程度しかない。しかも、磁土はとても脆いものである。そのため、波山はなんどもその「薄肉彫り」の過程で、器にひびを入れてしまい何百個、何千個と失敗の積み重ねが続いたという。

試行錯誤の連続の中、ようやくたどり着いた作品が本作品。

作品を所持した人が、「幸せになってほしい」「癒されてほしい」と願いつつ制作した波山の、作品に注いだ情熱とひたむきさには、ただ脱帽である。それにしても、本作品をじっと見つめているだけで、「幸せ」な気分に浸れる錯覚を覚えるのはなぜだろう。

 それは、錯覚ではなく「本物の美」を追い求めたいとする人の「心の鏡」になるのかとも考えた・・・

写真: 「美の巨人たち」(2017.6.10テレビ東京放映番組)より転載。同視聴者センターより許諾済。

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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