平地人を戦慄せしめる日本の原風景
「新・美の巨人たち <テレビ東京 2022.9.17放映>」による主な解説より引用
国指定の重要文化的景観は、これまでに全国で71箇所が指定されている。その一つが、2008年〜2013年にかけて選定された、日本の原風景である岩手県遠野市。
遠野の沃野を優雅にしかも力強く駆け抜ける機関車
「新・美の巨人たち <テレビ東京 2022.9.17放映>」による主な解説より引用
東京23区がすっぽりと入る広大な広さの土地には、どこまでも清らかで豊かな流れがある一方で、隕石のような巨岩の存在や、五百羅漢像、想像力を掻き立てる神秘の森、石碑や石塔の数々、1400ヘクタールもの広さに放牧されている93頭の馬たち、日本人のルーツとも呼べる妖しくて美しい秘密がここには存在する。
「遠野物語」(とおのものがたり)は、柳田國男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。 遠野地方の土淵(つちぶち)村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった、佐々木喜善氏より語られた遠野地方に伝わる伝承を、柳田が筆記・編纂する形で出版された。
日本の民俗学の先駆けとも称される作品である。そこには、「願はくは、之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と記してある。
貧しかった庶民の物語としての「オシラサマ」伝説や、デンデラ野で、老婆が最後を迎える習わしの「姥捨て」、重端渓(ちょうたんけい)における現実と幻想が交錯する世界など、不思議な世界に迷い込んだ流れに、眩暈すら覚えそうな感覚になる。
柳田國男は、「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い<山の人生>」とも語っている。
都市部では、西欧化の流れが一気に押し寄せんとする時代に、一方では日常生活の厳しさ、残酷さの中での戦慄さなど、土地に根を張って生きる日本人の「生きる」こと自体の難しさを、露呈させたかのような遠野の紹介である。
横浜生まれ、東京育ちの私にとって、驚きの番組テーマであり、未知の世界にひきづり込まれたような錯覚というか、目眩のようなものすら感じるくらいに、クラクラしてしまう今回の視聴内容であった。
私の田舎といえば、せいぜい茨城県の埼玉、千葉寄りエリアでの農家の存在は、幼少期に遊びに行くなどして知っていたものの、今回のような大自然の懐のような地に、身を置いた試しが皆無であっただけに、衝撃であった。
おまけに、柳田國男の名前は民俗学者として、学校の授業の中でも聞き及んではいたが、「遠野物語」を読んだ試しもなく、「日本人のルーツとは」に興味を持ち読んで見た、江上波夫氏の「騎馬民族説」くらいであったろうか。
まさに、「平地人を戦慄せしめよ」との柳田国男の言葉は、まるで都会育ちの私のような者に向けて放って言ったのではないだろうかと、受け止めざるをえなかった。
そして、その柳田國男に影響を受けて、遠野物語を漫画アニメにした、漫画家の水木しげおについても、漫画からこの世界を知る機会もなかったと言える。
以上を前提に、これから「遠野物語」を読むことをご容赦願うこととして、感想を以下に3点挙げてみる。
遠野物語にあるような地が、「唯一の日本の原風景」とは語っていないまでも、何故に岩手県遠野の地が、「日本の原風景」と言えるのかという素朴な疑問が湧いた。
例えば、そうした原風景なる景色は、北海道でも九州でも、四国でも、長野でも、どこでも持ちえる風景ではないだろうかと。1400ヘクタールの広さに、93頭の馬が放牧されている。23区がすっぽりと入る広さと言われても、ピンとこないのが正直なところである。
ただ、写真家の新井卓さんも魅了されたという「重端渓」には、訪れてみたいという気持ちにはなった。
そこまでしないと、生きていけないほどの家族の貧困の生き様故なのか、生産力としてどころか、介護の世話まで必要になることが、農家にとってマイナスでしかないとして、命さえも切り捨てるような風習があったということなのか、あるいは、追いやった先で集団生活に甘んじるとの社会的合意ルールが存在したのか。
今でこそ、憲法第25条で保障されている、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障すら、与えられていない時代だったのか。本当の貧しさに直面したことのない世代にとっては、なかなか理解し難い時代と風習だったのか・・・
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