抒情と哀愁が漂うレトロな街 北海道・小樽

(「新・美の巨人たち」<テレビ東京2022.8.27放映>主な解説より引用)
 抒情と哀愁が漂うレトロな街並みが、美しい。ここは、三方を山に囲まれ、日本海の海にも面している北海道・小樽市。モダンでハイカラな歴史的建造物が、今でも市内に91棟も残されている。


 小樽港は、北海道開拓の玄関口として発展してきた。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていた。そのうち取扱量が多くなり、運搬作業を効率的に行う必要が生じ、接岸できる距離を長くして海面を埋め立てることによってできたのが「小樽運河」である。

 小樽運河は、大正12年に完成。海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴であった。
 時を経て1966(昭和41)年より、運河は十数年に及ぶ「埋立てを巡る論争」がおこり、その末に一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備され現在の姿に生まれ変わった経緯がある。

 運河の埋め立て、道路の拡張、倉庫解体は、いずれも、住民の「保存してほしい」との声におされ、1983(昭和58)年「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」が成立し、保全の方向が決まった。運河の全長は1140m。

 完成から今年で99年の歳月が流れた。運河沿いの石造倉庫群は、当時の姿のまま残されており、レストランなどにリノベーション(再活用)されている。


 市内に点在し数多くある「小樽市指定歴史的建造物」の例を挙げると、旧北海道製罐第3倉庫、旧小樽倉庫(現在は「小樽市総合博物館」)、旧渋澤倉庫(現在は小樽GOLDSTONE)」などであり、いずれも「木骨石造」様式により建てられている。
 市内の中心部「色内地区」は、かつての小樽ウォール街とも呼ばれ、明治の末から大正を経て、昭和20年代くらいまでの建物群が、一つの地区内に存在している。
 その象徴的な建物が、小樽市指定有形文化財ともなっている「日本銀行旧小樽支店」(明治45年竣工 現在の金融資料館)である。国内でこれだけの期間にわたり歴史的建造物群が残されているのは、国内でも小樽市が唯一と言っていい。北一倉庫硝子三号館の広報担当 岡田乙志さんは語った。「古い歴史的建物を壊して、新しいものを建てるのではなく、歴史的建物を活かして、小樽の魅力を伝えたいきたい」と。


 一方、小樽では幕末から明治〜大正時代にかけて、「鰊漁(ニシンりょう)」が盛んに行われていた。そのため莫大な利益を上げる商人も誕生し、「鰊御殿」と呼ばれる大屋敷には、1500坪の敷地に、枯山水の庭や、18にも及ぶ部屋数を整備するなど、小樽繁栄の一時代を築きあげた。

 夜の帳が降りる頃、夕暮れ時にはガス灯が点るとともに、石造倉庫群がライトアップされ、昼間とは違ったレトロな雰囲気を今でも醸し出している。


(番組を視聴しての私の感想綴り)

 北海道開拓の玄関口として栄えたのが、「小樽」とあるが、開拓当時、札幌との関係はどうなっていたのか興味が湧いた。
 その前に、北海道の歴史を紐解くと、縄文時代には「塩谷3遺跡」に見られるように、小樽に「集落」ができはじめた。その後江戸時代には、和人(本州以南の日本人)が進出し、ニシン漁業の漁港として発展。明治時代には、北海道開拓に伴い、小樽は玄関口として、重要な場所となり、道内一の経済都市として発展。

 大正時代には、札幌と肩を並べるほどの人口となった。(大正9年に全国で13位の人口) 昭和に入り、大規模な空襲被害を受けなかったことから、市内の歴史的建造物が多く残った。

 終戦後、復興の拠点港としてしたが、主要産業が衰え、ニシン漁獲量の減少、1960年代頃には、エネルギー革命で石炭の需要低下、道内他都市での港湾施設整備がなどしたことから、小樽は勢いを失うこととなる。

 北海道経済の中心は、完全に札幌に移行。平成・令和に至り、歴史文化を「観光資源」として活かし、街づくりをすすめる。


 北海道に初めて旅行したのは、大学時代であったと記憶している。夏季休暇を利用して、約2週間くらいかけて、道内を一気に一周する旅であった。
 上野から夜行寝台列車に乗り、青函トンネルを抜けて函館に到着。そこから、大沼公園〜登別温泉〜襟裳岬〜根室〜美幌〜網走〜知床(羅臼・ウトロ)〜摩周湖〜阿寒湖〜帯広〜札幌〜稚内〜利尻島〜礼文島〜札幌と周遊した。
 残念にも、この時たまたま「小樽」への立ち寄りを除いていて、私自身小樽には一度も足を踏み入れていないのが、唯一の心残りとなった。
 その後に、社会人となりスキー旅行で何度か北海道に向かったが、ニセコや富良野といったスキー場へ向かったのみで、その際も「小樽」には行けていない。札幌雪まつりの時期にも、札幌市内への旅行(時計台やサッポロラーメン街)にも恵まれたが、その際も「小樽」はスルーであった。
 決して避けていた訳ではないものの、結果として「行けていない」のである。
 昨年(2021年)の夏にも、北海道周遊の旅を計画したが、コロナ禍の拡大により見送りとなった。

 北海道の中でも、発展への玄関口となった「小樽」。歴史的建造物の倉庫であり、「宝庫」。ならば、次回機会を見つけて、必ず立ち寄って観たいという気持ちになったのは言うまでもない。


写真: 「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2022.8.27>より転載。同視聴者センターより許諾済。

「小樽運河」のレトロ感の漂う素敵な夜景

「小樽運河」昼間の景観


小樽市内を一望(三方を山に囲まれ、日本海に面している)

渋澤倉庫(現在の「GOLDSTONE」リノベーションしたカフェバーなどがある)

旧・日本銀行・小樽支店 (明治45年竣工 現在の金融資料館)

小樽市指定有形文化財の一つ

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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