「動く美術館」1000年の未来へ (京都祇園祭・山鉾の美)
(「新・巨人たち」<テレビ東京 2022.8.13放映> 主な解説より引用)
コロナ禍で延期を余儀なくされたが、3年ぶりに戻ってきた「京都・祇園祭」である。
期間中最大の行事である「山鉾(やまほこ)巡行」には、全国から80万人のが訪れ、市内・山鉾町を中心に、今年(2022年)は34基の「山」と「鉾」が、豪華な装飾とともに練り歩いた。
真木(しんぎ)を柱として垂直に立て、二階部分の舞台には、囃子方や稚児が乗り込む大型のものを「鉾(ほこ)」という。一方、真木の代わりに松を立て、ご神体の人形を飾った小ぶりのものは「山(やま)」と呼ばれる。
中でも真木の高さが26メートルにもおよぶ最大の鉾が、「月鉾(つきほこ)」であり、超一級の美術品で飾られているこの鉾は、「動く美術館」とも呼ばれる。
屋根の裏には、江戸時代に活躍した50代円熟期の「円山応挙」制作の作品「金地彩色草花図」や、内部天井には岩城清右衛門による「源氏物語五十四帖扇面散図」日光東照宮でも活躍した彫物師「左 甚五郎」の「兎と亀」の彫物作品などが、月鉾の舞台内外に惜しげもなく飾られている。
祭の起りは、平安時代半ばに、大地震や疫病が大流行した際、八坂神社を中心に厄払いの「祇園御霊会」として始まったとされる。
山鉾巡行の前夜祭は、「宵山(よいやま)」と呼ばれ、独特の祭り情緒で演出され、街中がワンダーランド・テーマパークと化す。
一方、「鶏(にわとり)鉾」の舞台まわりには、西洋の図柄であり、ギリシャ神話の叙事詩「イーリヤス」の一場面や、16世紀末のベルギー製「ヘクトール王子と妻子の別れ」が、絨毯として描かれ、鉾の周りを装飾している。こうした絨毯は、江戸時代・鎖国の時代に長崎の平戸藩に入ってきた記録があり、当時の京都の豪商らが、舶来の凄いものを購入し持ち帰って、祇園祭の装飾の一つとして、相互に町同士が競って飾ったのではないかとされている。
「白楽天山」や「霰(あられ)天神山」の装飾絨毯は、いずれもベルギー製、「月鉾」のそれは、インド製であり、これらは「京都のええかっこしい」でもあると、地元の関係者は推測する。
祇園祭山鉾連合会理事長の木村幾次郎さんは語る。
「鎌倉時代に山鉾の形ができたのではないか。囃子も華やかさも人を集める一つの趣向。人が集まると悪い神も集まる。鉾に悪い神を付けて、巡行から帰ってきたらすぐに鉾を解体して、藁とか消耗品は全て捨ててしまう。それによって街を清めた」と。
モザイク表現のように映ったこれらに、当時の伊藤若冲も触発され作品を描いたのではと推測される。
2016年若冲生誕300年を記念し、本人の生家に近い町の「長刀(なぎなた)鉾」には、「旭日鳳凰図」(宮内庁・三の丸尚蔵館蔵)の絨毯が装飾され、山鉾巡行でも注目を浴びた。
今回のアートトラベラー本仮屋ユイカさんは、「長い歴史をかけてこんなにいいものを受け継いだからこそ、もっとよくしたいという、大きい広い視点と愛の深さに、本当に打たれました」と語った。
1150年の祇園祭の歴史、そこにみる文化の絆、雅(みやび)にエキゾチックに、1000年の未来へつなげようと・・・
(番組を視聴しての私の感想綴り)
1000年の歴史ある祭と言われても、普通の暮らしている中では、なかなかピンとこない感覚の時間軸ではある。とはいえ、現に「祇園祭」として受け継がれ、現代・今日まで脈々と受け継がれ、続いていること自体、尊いというか、心して鑑賞させていただく祭なのだなとの感慨にふけった。
小学生の頃に、切手を収集する趣味というかブームがあって、その中の「日本の祭シリーズ」の一つに、「祇園祭の山鉾」を描いた切手を手にとった記憶がある。
夏の京都には、何度か足を運んで入るが、肝心の「祇園祭」の時期に行ったことが、残念ながらまだない。
その上でではあるが、以下の3点について特に感じたところを書き記したい。
① 「祭り」は、肌で体感して初めてわかりかけるものなのか
室町時代に描かれた、上杉本「洛中洛外図屏風」にも、京都祇園祭の「山鉾」の姿が鮮やかに描かれている。その後戦国時代に入り、いろいろなものが焼かれ消失してしまったという経緯はあるものの、どうしてこのように長い期間にわたって、延々と脈々と受け継がれてきたのか、そのこと自体が「奇跡的」と映った。
京都の人々の「祭り」や「伝統」を大切に受け継いでいこうという心意気、そして世代交代の中での、その継承の想いをつないでいこうとする志、どこからそのエネルギーの継承がもたらされているのか、街中の京都住民が一体となって取り組む姿に、「祇園祭」の美的センスも重なり、なんともいえないうねりのような感激に包まれるのである。
何がなんでも、この「祇園祭」「山鉾巡行」「宵山」を、その時期に訪れ、この身体で肌で体感してみたいと強く感じた。
② 「動く美術館」とも言われる「月鉾」
月鉾には、円山応挙という京都画家の大家や、左甚五郎といった当代一流の彫物師が、惜しげもなく鉾舞台の内装などに、絵画や彫物を直接描いていたという事実を初めて知った。
とともに、毎年釘は一本も使わずに、木材と縄のみで作り上げる「鉾」や「山」自体の素晴らしさと、組み立てへのご努力は、並大抵のものではないなと推測した。
そして、「美」なるものへの、街をあげての追求心というか、求道心というか、京都という街そのものの「熱意」にも着目した。
さらには、「鉾」や「山」をそのままの形で翌年に引継ぎ保管するのではなく、毎年組み立てては、悪霊とともに廃棄するという、いわば制作のリサイクルにも、独特の手法と努力があるものだなと感心もし、尊敬もし、そのエネルギーの根元なるものへの「興味」もふつふつと湧いた。
③ 2020〜2022年、コロナ禍という時代状況の真っ只中にあって想う
我々現代人にとって、疫病退散という目的に合致する部分での「祇園祭」の意味合いを、ふと考えてしまう。
「疫病」というものは、時代を問わずに延々と、脈々と、この地球上に存在し、共存し、大袈裟にいえば、人類はそのための克服努力に絶えずエネルギーを注いできたのであろう歴史的な事実そのものがある。
このことは、歴史の一部でしかない、一過性の出来事として眺めているだけでいいのか。過去にも、パンデミック規模の疫病の時代は確かにあった。
やがて何事もなかったかのように、通り過ぎ去り、「そんなこともあったね」と振り返るだけの出来事なのか、本当にそうなり終息へと向かっていくのか、ゴールがどこにあるのか、やりきれない閉塞感のようなものが、社会全体を覆っているような気がする。
時代の気分、雰囲気から絶えられないと現実逃避するのか、立ち向かう勇気を持ち続けるのか、真に賢明なるリーダーは存在するのかなど・・・
1人ひとりに問われている時代なのかと振り返りつつも、新しい道筋を付けつつある時代の転機なのだと、言い聞かせる自分がいる。
皆さんには、今年がどんな時代と映っているのか、苦しくないのか、トンネルを抜ける賢明なる光明の光はあるのか・・
などと、色々と思い巡らすきっかけにもなった今回のテーマであった。
写真: 「新・美の巨人たち<テレビ東京 2022.8.13>放映番組」より転載。同視聴者センターより許諾済。
山鉾巡行で、先頭を飾る「月鉾」(毎年7月17日の前祭で巡行する鉾)。真木の高さは、26メートルにも及び最も大きく重いとされる。
「月鉾」内部の装飾に使われている円山応挙の作品 「金地彩色草花図」
前夜祭にあたる宵山(よいやま) では、提灯飾りなどの様々なライティング装飾と囃子の音色などにより、祭りの雰囲気で盛り上がり街中がテーマパーク・ワンダーランドと化す。
「長刀(なぎなた)鉾」には、伊藤若冲/作の「旭日鳳凰図」(宝暦5<1755>年
宮内庁・三の丸尚蔵館蔵)の絨毯装飾が、若冲生誕300年を記念して飾られた。
伊藤若冲/作の「旭日鳳凰図」拡大図(宝暦5<1755>年 宮内庁・三の丸尚蔵館蔵)
天正2<1574>年に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられた「上杉本 洛中洛外図屏風」部分 (桃山時代 狩野永徳)にも、「鉾の姿」がいくつも描かれていて、祇園祭の歴史の長さをこの作品からも感じとれる。
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