伝統に粋なモードを添えて建つ江戸の総鎮守「神田明神」(天平2<730>年創建)

(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2021.2.20> 主な解説より引用)
 麗しい緑青色の屋根瓦による曲線美と朱色が織りなす「伝統の神社建築」
東京の中心である神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地市場の108町会の総氏神様である。

 一之宮・縁結びのだいこく様、二ノ宮・商売繁盛のえびす様、三ノ宮・除災厄除の平将門・まさかど様も、それぞれ奉祀されている。

 徳川家康が、天下分け目の関ヶ原の合戦前に、この神田神社で勝利を祈願。その後見事戦(いくさ)に勝利し、徳川家・天下太平の世の礎ともなった歴史が刻まれている。

 中心となる「御社殿」(国登録有形文化財・1934年竣工)は、本殿、幣殿、拝殿からなる「権現造り」であるが、今の建物は驚くことに、「木造建築」ではなくその全てが、「鉄骨鉄筋コンクリート」で造られている。

 その経緯は、1923年9月1日の関東大震災により、その全てを焼き尽くしてしまったことの教訓から、建築家の大江新太郎(1879-1935年)氏が、その設計を任され考案したことによる。

 燃えたりしては意味がない、コンクリートであろうと、木であろうと、入れ物の中に入っている魂には変わりはないとして、木の杜の趣きである「木造建築の情感」に徹底的にこだわりつつも、全体を「耐火耐震構造」として設計した。

 東京工業大学名誉教授の藤岡洋保さんは、「鉄筋コンクリートとなると、神社というイメージからあまりにもかけ離れる違和感が出てしまう。また、構造そのものが無骨(ぶこつ)になりやすいことから、漆をコンクリートの表面に塗っていくことや、大きな屋根をできるだけ軽量にするため、構造上の工夫を施しているなど、あちこちに徹底したこだわりを演出した神社として建てられている」と語る。

 一方では、建築当時の流行の最先端であったアール・ヌーヴォー様式のモードデザインを、外観の文様にあしらったり、建物内部の照明器具にあしらったりと、まさに「江戸の粋な計らい」もさりげなく盛り込んでいる。

 今回出演したアート・トラベラーの仮木屋ユイカさんは、「神田明神には、伝統を守り続けるだけではないのですね。神社って、現代人も願いをもってお参りするという意味を汲み取りつつ、神社自身も進化していくんだなって感じました」と語った。

 神田明神。それは、神々を敬う伝統とともに、今を生きる人々の希望を支える造形として、東京の真ん中で、いつまでも、誰にでも、寄り添い続けている進化する存在でもある・・・


(番組を視聴しての私の感想綴り)


 東京のシンボル存在といえば、東京タワー、最近では、東京スカイツリー、浅草の雷門や浅草寺などをあげる人も多いだろう。
 今回の、大都会・東京の真ん中に鎮座まします「神田明神」も、ある意味では東京・江戸のシンボル的存在と言ってもいいのではないか。
 年末年始のお参りをはじめ、最近では新型コロナ禍の影響により、海外からの観光客も激減しているが、平常時には、年間を通じ内外からの参詣者が絶えない。

 神田といえば、「神田祭」が有名である。別名「神田明神祭」とも呼ばれ、「山王祭」(千代田区・日枝神社)、「三社祭」(台東区・浅草)と並んで、「江戸三大祭」の一つとされている。また、京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」とともに、日本の三大祭りの一つにも数えられる。神田祭では明治20年には、40本の山車(だし)が出され、かつては盛大な祭礼も行われた。

 番組では、江戸時代末期のもので、高さ8メートルにも及ぶ巨大な山車が原寸大で復元され、江戸東京博物館に展示されていることも紹介された。
 視聴の途中から、私は何年か前に、本番組でも取り上げていた、東京・浅草の「浅草寺・本堂」のことを思い出していた。飛鳥・天平時代を彷彿とさせる、見事な屋根伽藍の流麗な装飾と、今回の神田明神の御社殿とが、クロスオーバーして映った。
 その理由は、やはり浅草寺にあっても、国宝であった「本堂」が東京大空襲で焼失してしまい、現在の本堂は、昭和33(1958)年に「鉄筋コンクリート造り」で、再建された建物であったからである。

 それでも、神田明神の方が先に「鉄筋コンクリート」として建立されたのは、神田明神のある意味での耐火耐震構造を先取りしたその先駆性を、浅草寺・本堂もいい意味で追随したとすれば、合点がいく。その後浅草寺は、2009年から2010年にかけて、「平成本堂大営繕」が行われ、屋根の葺き替えは、再建以来50年ぶりであったという。

 「金龍山 浅草寺・本堂」で、当時のマイブログでの私の感想綴りを、以下の【 】で一部引用する。
【緩やかな曲線と軽快な感じ、飛鳥古代のシンプルで力強い造形美が、この本堂のそこかしこに取り入れられているのは、新鮮な再発見でした。

 特に、「屋垂み(やだるみ)」という、屋根が曲線を無理なく描いてそリあがっている様は、美しいと同時に、古代日本人の澄んだ感性を汲み取った点でも素敵である。どこか優しさに包まれるような、もう一方の「日本の美」というか、本来持ち合わせている「日本の美」を垣間見るような建物である】

 大江新太郎氏による、神田明神・本堂の見事な屋根瓦による流線形の設計と建築技術は、浅草寺のそれと相通じるものがあると推察する。

 神田明神の正式名称は「神田神社」である。江戸東京で最も古い神社の一つであり、天平2(730)年から数えて、令和11(2029)年には、1300年の記念すべき節目を迎える。

 ちなみに、神田明神や神田祭、江戸東京文化、アニメや漫画など、現代文化に関する絵巻、古文書などの資料3000点、浮世絵2000点など、多くの資料を所蔵・展示する資料館も、境内に平成10(1998)年にオープンしている。

 こうした点から見ても、どうしたって大都会の江戸・東京ならではの、「伝統を守りつつすすむ進化系神社」と言われる所以にも、なぜか納得してしまう。

 「神社は古い」という先入観、固定観念は、この際払拭するべき時代を迎えているのを、ここ神田神社でも実感してしまう・・・・


写真: 「新・美の巨人たち<テレビ東京放映番組2021.2.20>より転載。同視聴者センターより許諾済。

神田明神「御社殿」(1934年竣工)

神田明神「御社殿」(1934年竣工)  上空から俯瞰

社殿内でモードデザインを取り入れたアール・ヌーヴォー風な現代的デザインの天井照明


社殿内でモードデザインを取り入れたアール・ヌーヴォー風な現代的デザインの天井照明

浅草寺・本堂 (観音堂) 外観 鉄筋コンクリート造り・軽量チタン瓦。
飛鳥古代のシンプルでありながらも力強い造形美を取り入れている。


美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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