心の灯火(ともしび)としてある建築物(パリ・ノートルダム大聖堂 1345年竣工)
(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2020.6.13>主な解説より引用)
パリの「ノートルダム大聖堂」は、ゴシック建築を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂である。建築様式は、ロマネスク様式のテイストを一部に残した、初期ゴシック建築の傑作。彫刻やステンド・グラスを駆使して、聖書や聖人伝のさまざまなエピソードを表現している。
とりわけ、3つの薔薇窓のステンド・グラスと、正面ファサードの3つのレリーフが俊逸である。この大聖堂は「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに、1991年に世界文化遺産に登録された。
建築の歴史を遡ると、1163年に司教モーリス・ド・シュリーによって工事着工。1225年に完成したが、ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続いた。最終的な竣工は1345年であった。
1789年にはじまったフランス革命により、他の教会と同様に大聖堂も襲撃を受け、飾っていた歴代の王の彫像が破壊されて埋められた。ほとんどの教会が機能停止に陥った中で、ノートルダム大聖堂を中心として再び復活し使われていくのは、ナポレオンの時代であった。
「皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」(ジャック・ルイ・ダヴィッド作) で描かれた舞台はこの大聖堂であり、それは国民の多くがカトリック信者であることを味方にしようとした、ナポレオンの演出とされた。
また、1831年に大ベストセラーとなったヴィクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」(ノートルダムのせむし男)は、当時のパリの市井の人々の生き生きとした暮らしぶりを描いた。それが大きな共感を呼び、その後フランス政府が大聖堂の大規模修復工事に着手するきっかけとなった。
日本の詩人であった高村光太郎(1883-1956)は、1908年に修復工事完成後の大聖堂をパリで観たときの印象を、「雨にうたたるカテドラル」の中で次のように書き記している。
「ノォトルダム・ド・パリのカテドラルあなたを見上げたいばかりに ぬれて来ました あなたに さはりたいばかりに」と。
フランス・パリといえば、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館などと並んで、世界中から訪れる観光客を呼び寄せているのが、このノートルダム大聖堂であろう。
ノートルダム大聖堂の工事着工時期は、日本では平安時代、平清盛が太政大臣になり政権を握った頃であり、竣工した1345年は、足利尊氏が室町幕府を開いた頃にあたる。ざっと200年近くにわたる工期ということだけをとっても、桁違いのスケールであることに驚く。
一方、「ノートルダムの鐘」は、1996年に公開されたディズニーの長編アニメ映画のタイトルである。原作と異なり、最後はハッピーエンドで終わるが、画面の美しさは1990年代長編ディズニーの中でも屈指の作品で、ストーリー・音楽と合わせて大変評価の高い作品となっている。
こちらも再開が間近い、東京ディズニーランド(TDL)や東京ディズニーシー(TDS)のショーでは、「ノートルダムの鐘」の曲がしばしば演奏されている。
さて、まだ人々の記憶に新しい出来事ではあるが、昨年(2019年)4月15日夜(現地時間)に、この大聖堂で大規模な火災が発生し、尖塔などが焼失してしまった。
その後の火災による修復工事も、新型コロナウイルスの影響で中断していたが、幸いにも今年(2020年)5月30日には、その工事も再開された。
番組の最後に、大聖堂のパトリック・ショーヴェ主任司祭は次のように語った。
「大切な人を亡くし、悲しみにくれる家族の希望、懸命に働き、疲れ果てている医師たちの希望。ノートルダムがここにあることは大切です。彼らとともに喝采し、鐘を鳴らすために・・・」
偉大な建築物は、決してその設計とか構造とかの優れた点だけで決まるものではなく、市政の人々の暮らしの中に、ともに息づき、生きてきた足跡とともに、その心の灯火(ともしび)の希望として、あるに違いないことを教えてくれた。
ノートルダム大聖堂に限らず、芸術は、生活を潤し人生を豊かにする宝である。「計算」や「利害」が中心となった殺伐たる時代を打ち破るためには、「負けない生命」としての芸術が、もっと多くの人の人生に深く入っていくことが、望まれるのではないだろうか。
写真: 「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組より転載。同視聴者センターより許諾済。
ディズニー映画「ノートルダムの鐘-予告編-」より
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