市井の情景から美を見いだした「東京二十景」(川瀬巴水 作 1925〜30年 大田区立郷土博物館蔵)

 (「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2018.11.17>主な解説より引用)

かって、本番組でも取り上げられた「名所江戸百景」(1856〜58年作)は、歌川広重の最晩年の作品である。

 江戸末期の名所図絵の集大成として、かつての東京(江戸)の風景を独特の切り口から描き大ヒット作品にもなった。近景と遠景の極端な切り取り方や、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点など、斬新な構図による図絵は、日本的なジャポニズムの代表作として、西洋の画家にも影響を与えた。

 その時から約70年後を経過して、いま再び東京の風景をスケッチした版画家 川瀬巴水(かわせ・はすい)が登場し、懐かしき町の情景を、平凡な街の何気ない一瞬として描いた。「東京二十景」(版画二十枚で構成された作品)である。

 1883年東京・新橋に生まれた巴水は、岡田三郎助に師事。その後、伊藤深水の「近江八景」の作品より影響を受けた。都内にある水際の風景にこだわるとともに、「薄暗い景色の中の詩情」を醸し出す。

 そのために、「多色摺り」に加えた、浮世絵でも用いなかった「ザラ摺り」を取り入れ、自らの版画に独特の「町の美の風情」を表出させていった。そのことはやがて「昭和の広重」とまで評価されるようになった。

 関東大震災の直後から描きはじめた巴水の心境には、愛すべき東京の町の姿、美しく懐かしき風景を、「町の記憶」として留めておきたいという、止むに止まれぬ衝動もあったのであろう。

 番組は、つぎの言葉で結んでいる。「東京センチメンタル。どこか懐かしいノスタルジー(郷愁感)。この町の春夏秋冬、市井の人々の息づかいが響く喜怒哀楽、涙で滲んだ東京・・・」

(本番組を視聴しての私の感想綴り)

 昭和初期の時代の雰囲気や空気までもが伝わってくる、なんともいえないノスタルジックな、郷愁を誘う表現に惹かれてしまった。それは、「風景」でも「光景」でもない。市井の人の息づかいを感じとりつつ、感情でとらえた街の「情景」であるとした解説には、強く同感し共鳴した。

 巴水は、普通の景色の中にいわば「情景の美」が宿っていて、それを見事に一幅の版画として、再現というよりは見事な写実とともに「演出」してみせた。

 前回のフェルメールの「演出」とは違った側面ではあるが、絵や版画の中にある「演出」に魅力を感じる点では、共通のものかもしれない。

 さらに特に注目したのは、「ザラ摺り」という手法の導入により、色に奥行きを与えるとともに、版画全体に効果を与えた、その見事な技法である。

 東京の風景は、現在でも日々刻々と変貌を遂げている。いわば、巨大都市の宿命といっていいのかもしれない。1年半先に迫った東京オリンピック・パラリンピックの開催も、それに拍車をかけているように映る。

 過去のすべてを留めおくことは不可能である。ただ、そこに普通に生活し、息づかっていた市井の人々の残像や情景を、すべて消去していってしまうのではなく、「市民の感情」というか、「市民の生き様」といったものを、どこかに仕舞っておく工夫ができないものか。

 もちろん、形のモニュメントであったり、歴史を語る石碑であったりと、取り組まれている例はある。新しいものへすべて置き換えていくという発想から、過去のすべてをクリックひとつでデリート(消去)してしまうことの愚かさを、ここで学んだような気がした。

写真: 「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2018.11.17>より転載。同視聴者センターより許諾済。 

 

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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