若き日のどん底時代の画家が、自らの道を切り拓いた輝かしき一枚「流燈」(横山大観 作 1909<明治42>年)

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2018.5.12>解説より引用)

巨匠らしからぬ絵画と、当初は周りから揶揄された作品・・「流燈」

しかし、この作品こそが、「第三回文展」(文部省美術展覧会)に出展・評価され、横山大観が、その後の日本画壇での地位を確立していくきっかけとなり、転機となった作品である。

 新しい日本画をめざして、東京美術学校(現・東京芸術大学)で岡倉天心の薫陶のもと、菱田春草、木村武山、下村観山(当時は全員30歳代)らとともに、茨城県北茨木市五浦(いづら)海岸という土地での、都落ちの果てに誕生したのが、この作品「流燈」であった。

 古い日本の絵画でも、いずれも輪郭線を明瞭に描き使うのが、当時の「基本的な表現手法」であった。それに対して、大観は、「空気で描く工夫はなにかないか」という天心からの課題テーマを自らに課した。それは、ヨーロッパのラファエル前派の一人である、アルバート・ムーアなどの作品からも学びつつ、やがて「朦朧体」(もうろうたい)という、いままでの日本画にはみられない、まったく新しい表現技法を身につけていった。

 ムーアの作品の画風には、「雰囲気の美」という傾向の絵が多く、その色彩も淡い白を基調にしたものが多い。当時のイギリスのアカデミズムとは、少々違っていた。ムーア自身も、実は日本のジャポニズムの影響を受けていたとされる。

 また、今回の作品、「流燈」というタイトルのわりには、流れる燈籠はどこにも描かれていないという不思議。

 さらには、描かれている人物の構図としては、あえて画面からはみ出ている構図をとっている。画面の淵で切りとることで、描いていない部分の外の世界に、あえて鑑賞者の視点、想像を膨らませるといったしかけも俊逸である。

 加えて、「たらし込み」と呼ばれる琳派の手法をも、大胆に取り入れている痕が、見うけられる。本阿弥光悦から、俵屋宗達〜尾形光琳〜酒井抱一に連なる、「琳派」の継承も観てとれる。

 番組では、本作品「流燈」を以下の言葉で締めくくっている。

「どん底の画家が、自らの道を切り拓いた輝かしき一枚」と・・・

(番組を視聴しての私の感想綴り)

 近代日本画の第一人者。横山大観(1868-1958年)の生誕150年と没後60年にあたる本年(2018年)である。

 本作品「流燈」誕生の経緯そのものが、大変に興味深いものであり、またその意外性に最初は驚いた。横山大観といえば、だれもが知る日本画家の巨匠、重鎮であり、まさに「美の巨人」である。

 私が、最近大観作品の多くを鑑賞したのは、東京・広尾にある「山種美術館」所蔵の作品の数々であった。大観は一方で、生涯に1500点もの富士山の絵画を、勇壮に、華麗に、何ものにも揺るがない堂々とした富士の姿を描いていった。

 酒を愛し、豪放磊落で知られた人柄とも伝えられる大観ではあるが、一方では非常に繊細な描写を必要とし、数々の試行錯誤のうえに誕生した「朦朧体」への飽くなき追求心が、三十代の時の本作品から垣間見えた・・・

 近代日本画の発展をリードした大観の芸術も、若き日の涙ぐましい努力の源があってこそ、その後の名画の数々が誕生していったのだということに、改めてその想いを馳せた・・

写真 : 「流燈」(横山大観 作 1909<明治42>年)

「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2018.5.12>より転載。同視聴者センターより許諾済。

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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