破調の美学? 採光による遊び心「燕庵(えんなん)」(古田織部 作 16-17世紀)

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2014. 4.12>主な解説より引用)

   暗がりに浮かぶ白い光のコンポジション・・・

たった二畳の広さに、すべてをそぎ落とした「無限の宇宙」を体現したかのような「待庵」に比べ、「燕庵」は採光のための窓が、10もありその独創性には、本当に意表をつかれる。

 また、陶器の制作にいたっても、曲がる、ゆがむ、割るといったことを拒まずに、積極的にその大胆な革新性を追求した作品の数々。

 「織部焼」の後世の評価は、定かには承知していないが、「侘び茶」から「武家茶」への脱却というか、対比した茶の世界観をも、変えようとした独創性には、ただただ驚かされる。

「燕庵」は、京都市下京区 薮内家内にある。

重要文化財であるが、一般公開はされていない。

古田織部(ふるた おりべ)は、もともとは武将であり、信長、秀吉にも仕えた。

40歳頃から茶道に目覚め、徐々に頭角を現し、千利休七哲の一人となる。

利休自害による死後は、事実上の茶人としての天下人に。

 ただ、その大胆かつ自由な気風、動的・破調の美の追求といったものが、徳川家康を脅かす存在となり、陰謀説の嫌疑を持たれ、最後は一方的に自害を命ぜられ死に至る。

 1582年 利休が建てた「待庵」と、今回の「燕庵」との対比が、その茶風というか気風を象徴しているかのようである。

(番組を視聴しての私の感想綴り)

 茶の湯は、日本が生んだ茶道という精神性を重んじた総合芸術といっていいのでは。

茶を飲む喫茶を、茶道という芸術にまで高めたのは、茶を飲む作法を通して、茶道具から炭作法、掛け軸、花入れ、活け花や茶室、露地といわれる茶庭、料理に至る衣食住の極度に凝縮した精神性と美意識にあり、日本人の中に「自然を敬う心」があったからだろう。

 一方、茶の世界というと、とかく「伝統の尊重」といったものが重んぜられる世界にあって、これほどまでに大胆な挑戦を試みていた革新的な茶人が、戦国の世にいたとは・・・

 「調和を破る」という意味での、「破調の美」という世界を垣間見た想いである。

 目からウロコというか、どこまでも本質を探究する心とともに、美を追求する中にあっての「自由な遊び心」には、本当に関心させられた。

 姫路城の紹介でもそうであったように、完璧な美=真の美ではない?  フラクタル理論というか、複雑系というか、茶の湯の茶碗の形、リズムや形・デザインを意図的に完璧なものとせずに、「破調」な美を追い求める中にこそ、「究極の美」があるとする、日本的な感性の発露がここにある。

 自己の小宇宙の中に自然をつくりあげる「見立て」の思想や、ここでいう茶室や、日本庭園、活け花、陶器に見る「景色」の奥義は、すべて自然と融合することを「究極の美」とする、「日本人の美意識の結晶」ではないかと考えた・・・

 写真: 「燕庵」(古田織部 作 16〜17世紀)  上: 内観 下:外観 

「美の巨人達」テレビ東京放映番組<2014.4.12>より転載。同視聴者センターより許諾済。

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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