ミステリアスかつ3Dテクニックの先取り?・・(フェリックス・ヴァロットン作 1899年)

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2014.9.6>解説より引用)

   スイスの画家。これまでに、日本でもあまり知名度がない画家かもしれないが、21世紀に入り、いまヨーロッパでは、最も注目を集めている話題の画家の一人。

奇才ともいわれ、謎めいた深い物語を持つ作品のひとつが、今回の作品「ボール」である。

 一見、ほのぼのとしたメルヘンチックな少女が、赤いボールを追いかけている、ほのぼのとした作品なのだが。さらによく観ると、不安定で落ち着かない雰囲気や、画家の意図された、迷路にでも誘い込むような、その巧みな構図に気づかされるのである。

 さらに言えば、鑑賞する者一人ひとりにとって、様々な想像力を誘惑するような色使いと、まるで、映画のような動画の視点というか、カメラ目線になれと言わんばかりに、作品の中へグイグイと惹きこまれていくのである。

 また、赤と緑という対立的な色の配色も、意図的である。

独身時代の自由が「赤」、結婚後の窮屈な生活の象徴が「緑」として、自由な生活と、束縛的ともいえる生活の対比を強調した。

 そして、この中央の夢中で、赤いボールを追いかける、つまりは自由を追い求める少女こそ、画家の姿、ヴァロットンの姿そのものではなかったかと・・・

これは、心象風景といった内面の世界を、リアルな現実風景、つまりは平面のキャンバスに落とす際に、結果として「謎」を鑑賞者に与えることになる、意図的でもあり、奇抜な想像力の賜物といってもいいかもしれない。

(番組を視聴しての私の感想綴り)

 驚かされるのは、観る者一人ひとりにとって、いかようにも、その想像力が膨らむというか、解釈が幾重にもひろがるというか。そんな作品であると感じた。

 映画のような動画の普及がこれからという当時の時代背景の中で、すでに3Dワークの視点を取り込んでいたかのようでもある・・・その意味で、今日の時代に観ても、かえって最も新鮮であり、その先進性、先端性を感じてしまうのだろうか。

 時代を超越してしまう絵画というのは、そうあるものではないだけに、再発見という意味においても、注目を集めている証左かもしれない。

PS:  2018年6月にこのブログへアップするにあたり、VR(Virtual Reality)体験の普及がめざましい。特に、アミューズメントパークといった娯楽施設などでのVR導入がすすんでいる。

一次元から二次元へ、そして三次元の世界へ。線から面、面から立体へ。そして、そのすべてを「現実」から「仮想現実」へと導いていく。

 そんな夢を実現してくれる時代がくるのかなぁ・・などと、私は小さいころ子どもながらに「夢」を観ていた記憶がある。

 その先の世界はまさに、かつての手塚治氏らがアニメーションで夢描いた世界であったのだが、それが「仮想現実」という形ではあるが、まさに「現実」に近づきつつある今日ではないか。単なる「錯覚の世界に遊んでいるだけのこと」と、簡単に片づける人もいるが。

 それでも、中には現実からの逃避がすすみ、ほとんどの人生の時間を、「仮想人生」の中で一生を終える・・・なんてことが、まさに現実となるのか。でもそれは、「自分」であって「自分」ではないのである。

 AIの究極の進化とされる、2045年シンギュラリティ(ロボットが人間を超える時代)も話題になっている。Googleも、軍事開発、戦争用のロボット技術の進展に危機を抱き、そうしたプロジェクトを中止する報道もあった。

 21世紀の初頭から半ばに入り、われわれ人類は、距離、時間、空間、国境さえもやすやすと超えつつある。

 いまや、だれも想像したことがない人類の歴史の転換点にいるのかもしれない。といったら大袈裟だろうか。

ミステリアスを超えたミステリアス世界である・・

写真: 「ボール」(フェリックス・ヴァロットン作 1899年)「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2014.9.6>より転載。同視聴者センターより許諾済。

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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