20世紀の芸術を変えた一枚「ゲルニカ」(パブロ・ピカソ1937年作)

<「美の巨人たち」(テレビ東京2016.12.17放映番組)より、主な解説コメントより引用>

天才 Picass0 55歳の時の作品「ゲルニカ」である。

1937年ドイツのヒトラーが、スペイン北部の古都ゲルニカを空爆した。

いななく馬、ねじれた肉体、子どもを抱く母親の悲鳴、戦争という不条理。

戦争と暴力を告発した時代の「黙示録」といわれた「ゲルニカ」を、ピカソは一気に描いた。

 創造を破壊を繰り返したピカソほど、「作風」を次々と変えた画家はいない。

ピカソ曰く、「私は子どもらしい絵を描いたことがなかった」「私の場合、一枚の絵は破壊の集積である」と。

<番組を視聴しての私の感想コメント>

  妹コンチータをジフテリアの病で亡くす。妹の死と向き合い、ピカソの原点ともいうべき、15歳の時のデビュー作品「科学と慈愛」(1897年作)。この絵には、若き頃の苦悩と悲しみが秘められている。ピカソは、亡くなるまでこの作品の下絵を、大切に保管していた。

それにしても、とても15歳の少年が描いた作品とは到底思えない。テーマといい、写実の精緻な描き方といい、画家としての驚きの才能が、早くも開花していた。

 ピカソは、歳をとるにつれて*キュビズム、シュールレアリスムと、絵の変遷が始まった。「科学と慈愛」キュビズムの出発点とされる「アヴィニョンの娘」、「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」、「接吻」などの作品を通じて、ピカソの作風の変遷の一端を知ることができた。

 多くの作品を世に残したピカソであったが、死ぬまで時代を先取りする天才画家であった。

*キュビスム(Cubism立体派)とは

20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、その後の現代美術に大きな影響を与えた動向のひとつである。。

写真: 「ゲルニカ」  3枚目「科学と慈愛」(ピカソが15歳の時の作品)

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組2016.12.17より引用)

テレビ東京視聴者センターより、作品転載を許諾済。

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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