「縄文のヴィーナス」と「仮面の女神」そしてウクライナのこと綴り

(「新・美の巨人たち」2022.1.22 テレビ東京放映番組より主な解説を引用)

 現在、「国宝指定の土偶」は全国で5つあるが、そのうちの2つが「縄文の里」と呼ばれる長野県茅野市内で発掘された「縄文のヴィーナス」と「仮面の女神」の(いずれも、茅野市尖石考古館所蔵)2体である。

「縄文のヴィーナス」(1995年国宝指定)
高さ27センチ、重さ2.14キロ、縄文時代中期(今から約5000年前) 茅野市棚畑遺跡より出土。
「仮面の女神」
高さ34センチ、重さ2.7キロ、縄文時代後期(今から約4000年前) 茅野市中ツ原遺跡より出土。
 いずれの作品も独特の美意識を備え、茅野市尖石縄文考古館長の守谷昌文さんは、「土偶の世界でトップクラスに位置づけられる土偶」と語る。
 しかし、土偶そのものがこうした高い評価を得るまでには、かなり時間を要した。元文化庁主任文化財調査官の土肥孝さんは、「当初は、土器とか土偶は<汚い>というレッテルを貼られていた。そこでアメリカやベルギーなど海外への遠征による<縄文展>開催により、高い評価が徐々に与えられ、やがては文化庁を動かし国宝指定へと漕ぎつけた経過があった」と当時を振り返った。とあるフランス人は、「なんでピカソがこんなにいるんだ」と語ったという。
 国宝指定の理由に添えられた文には、以下のように記載されている。

「人体の各部を極端に誇張して表現していながら、美しい曲線でまとめられた安定感溢れる姿形。光沢が出るほど磨き上げられ、均整のとれた伸びやかな表現・質量感。洗練された造形美。本土偶は、縄文時代の精神文化を語る傑出した遺品として、国宝にふさわしい価値を持つものである」と。

 「縄文のヴィーナス」は、ハート形の顔につり目、小ぶりの鼻と口、前に突き出した乳房と下腹部、左右に張り出した臀部、肉感的な体の線は、妊婦を表している。このことから、子孫繁栄、豊穰などの願いが込められていたと考えられているが、確かなことはわかっていない。しかし、ほかの多くの土偶が意図的に壊されて出土するのに対し、この像は集落の中心地のくぼみに横たえられた完全な状態で見つかり、このことから当時の人々にとっては、特別な存在だったことが窺える。
 「仮面の女神」にあっても、仮面をつけていたことから特別な土器、①大きい、②完全な姿での出土、③縄文人が埋めた とされることから、シャーマンのような祭りを司る人、巫女だとか何らかになりきる、そういう場面での仮面をかぶる人間を表現したのではないかとされる。また、不思議なことに、二体ともに「完全な左右対称」ではなく、いずれも全体で右足を出そうとしていることがわかった。
 今回のアートトラベラー本仮屋ユイカさんは、「祈りの象徴であることは間違いない。生きてる時間が短かったこと、死ぬのもそばにあるし、命(いのち)全てを讃えるって意味の土偶なんじゃないかな」と感想コメントを語った。
 母なる願い、そして大地への祈りがそこにある・・・


(番組を視聴しての私の感想綴り)

 「過去〜現在〜未来」と時間軸を想像してみるにしても、4000年から5000年前に、土偶という姿でこの造形を完成させたという一点のみだけでも、感嘆に値するものだと感じた。
 意識的に描いたかどうかは別としても、結果として作者である当時の縄文人の「美意識」の高さも、感じざるを得ない両作品である。
 また、体内に宿る子を大切に育むことで、母子ともに健やかな成長をと願う人間の根源的な願い、祈りというものは、普遍的であり、不変であるという強い印象と感動を抱いた。
 それはまた、「生命」そのものへの賛嘆であり、敬愛であり、儚くも脆い「生命」であるからこその尊厳と祈りではないだろうかと・・・
 振り返るに、現代という世界はそこから、どれだけの進化を遂げてきたと誇りを持って、縄文人の人々に語れるだろうか。
 この番組の放映のあった2022年翌月2月下旬以降、2022年3月24日現在までの一か月間に、ロシアの一方的なウクライナ軍事侵攻が突如としてはじまった。市井の母親、子どもたち、病気を抱える高齢者など、罪のない人々が全く抵抗できずに日々殺されていく現実を、我々現代人は目の当たりにしている。

   また、最新の「美術手帖」ヘッドライン記事(2022.3.24)によると、ウクライナのマリウポリの美術館が、ロシア軍の空爆で破壊されたと報じられている。

 第三次世界大戦の、生物・化学兵器、果ては核兵器の使用までちらつかせ、世界を相手に恫喝しているのを見るにつけ、「これは本当に現実なのか。映画や芝居の世界ではないのだ」と言い聞かせては、一刻も1日も早い即時停戦と、賢明なる話し合いによる終戦へと終息してもらいたいと祈るばかりである。
 グローバリゼーションが進展する中での、人類の精神文化の枯渇、世界の価値観の転換、環境問題が象徴する地球運命共同体としての自覚など、ここへきてコロナ感染の世界的なパンデミック現象とともに、追い討ちをかけるように、我々現代に生きる人類への警鐘と、捉えられてならない。
 そのためには、人ごと、他人事、よそ事ではない、全てが「自分事」として捉えるとともに、歴史の傍観者としてただ漠然と生きている人々への警鐘でもあると、捉えられてならない。

 一方で、それでは、「平和を祈る」だけに留めずに、具体的に何をなし得るか、何をすれば良いのか、私自身も含め戸惑う人々の多いのも事実であろう。

 縄文人が残した土偶から読み取れたであろうように、「生命の尊厳」を第一に据えた価値観の転換を、全世界が共有すべき時代に突入する入り口に、ようやくたどり着いたののだろうか。
 そうであるならば、現代人はそのためにできることを模索し、些細なレベルでも構わない、具体的な実践・行動へと移せる勇気こそが、今こそ求められているのではないか・・・

 大風呂敷を敷いた感想になってしまい、恥ずかしい気持ちもあるものの、「過去〜現在〜未来」を見据えた生き方を、図らずも今回の番組からも学び、連日のニュース報道からも学んだ率直な感想となった。そのまま記しておくことにする・・・

(令和4<2022>年3月24日記)


写真: 「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2022.1.22>より転載。同視聴者センターより許諾済。

左: 「縄文のヴィーナス」(縄文中期 5000年前) 

右:「仮面の女神」(縄文時代後期 約4000年前)

[いずれも国宝指定土偶  長野県茅野市尖石縄文考古館所蔵]

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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