北斎が描いた宇宙観なのか「怒濤図」(葛飾北斎 1845年 上町自治会蔵 北斎館/管理 )

(「新・美の巨人たち」テレビ東京<2021.5.29>放映番組 主な解説より引用)
 生涯に3万点を超える作品を発表した葛飾北斎(1760-1849)。彼が八十五歳で描いた「波の集大成」とも言うべき絵画がここにある。ただ、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」のように、風景を入れた波を描いたのではない。
 北斎は、なぜ風景を排して、波と奥行きを感じさせる宇宙空間にまでの広がりさえ、想像させるような絵画(男浪・女浪)を描いたのか。
 現在、全国ロードショーで一般公開中の映画「HOKUSAI」で、若き頃の北斎を演じているアート・トラベラーの柳楽優弥(やぐら ゆうや)さんは、「富嶽百景 初編 1843年」で北斎が言い残した言葉を、朗読し紹介した。
 「七十前後に描いたものは取るに足らない。七十三歳でようやく生き物の骨格や草花の本質を悟ったので、今後は八十六歳でますます画技がすすみ、九十歳でその奥義を極め、百歳でまさに神妙の域に達し、百十歳では一点一画が生きているようになるだろう」
 絵が描かれた時代背景の一つとして、老中・水野忠邦が行った「天保の改革」があった。財政再建や風紀是正などをすすめ、浮世絵や版画をはじめ多くの絵画や書物の類が焼却処分されていった。改革自体は、激しい反対にあい途中で頓挫するものの、芸術家にとっての「描く自由」が奪われた一時期でもあった。
 番組では、大きく以下の3つのアプローチから、「怒濤図」についての科学的な解析とともに、北斎の真の狙いについて、視聴者とともに模索していった。

① 波の「青」を表現する色・色彩へのこだわり
 「ベロ藍」と「銅緑」水飛沫(みずしぶき)の表現は、まるで現代アートの様だと語る、天野山文化遺産研究所・代表理事で「修復士」の山内 章さんは推測した。
 「緑がかった色には、使える色として、銅の錆から作った顔料としての<銅緑(どうろく)>と、孔雀石から作った顔料の<岩緑青(いわろくしょう)>の2種類があった。ビビッドな色でないと、祭り屋台としての映えないとの理由から、北斎は岩緑青より早く、白く退色してしまう銅緑を、あえて使ったと思われる」と。これは、2019年に本作品に対して実施された「蛍光X線分析」という科学的な解析アプローチ結果からも、裏付けられた。
② ここで描かれた波や飛沫(しぶき)の大きさと奥行きを立体的な3D技術により推測
 3D作家のワクイアキラさんは、「ここで描かれた波や飛沫を、神奈川沖浪裏の様な絵画とも比較しつつ、少なくとも奥行きとしては、10層以上(一層が10メートル)で100メートル以上はあったものを、想定して描かれている。つまり、この世を超越した別世界、異世界に連れていってくれる仕組みが、ここではできている」と語った。そして、実際の3D映像として制作した3D映像作品を、柳楽優弥さんにもイリュージョン体験・体感をしてもらった。
③ 「陰陽説」でいう「太極図」を憶測する
 北斎館・副館長の竹内 隆さんは語る。「陰陽説とは、対立する陰と陽の<気>が調和し、自然の秩序が保たれるという思想です。この絵画は、祭屋台の天井画として北斎に描いてもらったので、神に感謝しての五穀豊穣、そして住民の幸福を祈る。そのために、何を描いたらいいのかを、北斎は考えたのではないか」と。
 アート・トラベラーの柳楽さんは、最後にこの絵画の感想を述べた。「景気のいい感じ。でも、<怖さ>とか<疑い>という感情を忘れさせてくれる。<自由な気持ち>を与えてくれるような感情を抱いた」と。


(番組を視聴しての私の感想綴り)
 つい最近であるが、ロードショー公開中の映画「HOKUSAI」を、都内のTOHOシネマにて鑑賞した。2時間と少しの上映時間は、正直にいうと少し長いかなとは思いつつ、描かれて出てくる作品が、「神奈川沖浪裏」と「怒濤図」の2点に絞られ制作されていたのは、果たして偶然かと。
 おそらくであるが、ロードショウ公開前に、本番組のプロデューサーなりが、予め視聴し、柳楽さんへのアート・トラベラー出演依頼も含め、映画作品と本番組の構成とが、見事に波長が合うというか、共鳴していたかのようで、私自身としては観ていて「心地よかった」のは間違いない。
 また、映画鑑賞が番組視聴後だったので、いい意味での「映画の楽しさ」を十二分に満喫できたのも嬉しかった。こういうのを、「タイムリーな仕掛け」とでも言うべきか。
 「造花」=「我々を取り巻く大自然そのもの」を全て先生とし、大自然に肉薄していった北斎の作品群の一つに、「諸国滝廻り」(天保4<1833>年)がある。
 「波」と「瀧」とでは別ではあるが、「水」に関わり、「水」が構成要素である点では共通する。ここでは、瀧の生み出す様々な表情を、絶妙に描き切っている。また、北斎ならではの「美意識の構図」に対するこだわりも見てとれる。
 つまりは、ここでも「瀧とは何か」「水とは何か」と、とことん突き詰めていく北斎の追求心と探究心。その緻密で鮮明な観察眼、巧みなまでの構図構成力や描写力には、どこを切り取っても、目を見張るばかりで圧倒的に圧倒される。
 北斎の代表的な作品の多くには、あらゆる形態の「みず・水」が登場する。波、瀧、そして川や海。まさに、北斎は水のすべてに魅了されたアーティストの先駆者といってよい。もちろん、「みず・水」を広く捉え、「青」の色に拘った画家といえば、その前後にも、伊藤若冲、東山魁夷、速水御舟など。海外でもフェルメールブルーをはじめ、「ブルー」にこだわり続け、描いた画家も数多いが、「深堀り」という点では、北斎の徹底したこだわりと行動力などの視点から見ても、一歩も二歩も他より抜きんでいるのではと感じた。
 実は同時にではあるが、北斎がやはり晩年に描いたとされ、本番組でも2019年3月に放映・紹介された「弘法大師修法図」も想起した。(ちなみに昭和58(1983)年に再発見された本絵は、東京・足立区の「西新井大師」にあり、毎年10月の第一土曜日に開かれている「北斎会」にて、一般公開されている)
   あの「神奈川沖浪裏」(1830-34年頃)の構図と重なるのは、同じ絵の中に、「動」と「静」があり、その二つが渾然一体となって、見事な迫真の構図を生み出しているということ。
 精神世界を、リアルな現実のもとに描くというのは、ともすると超常現象のようなものを想像しがちでもある。宇宙の法則のような、(例えば惑星の地球が、恒星である太陽の周りを回っているという宇宙のリズム)目には見えないけれど、たしかに存在するであろうリズムを、絵画に表現するとすれば、どのような構図になるのか・・・
 今回の「怒濤図」も、それに近いイメージを想起したが、「神奈川沖浪裏」との違いにもなるが、本画の場合、「静」と「動」という要素のうち、「動」のみで「静」の部分は見当たらない。それはなぜかとも考えてしまった。
 北斎の「世界観・宇宙観の拡がり」というか、当時はもちろん3Dなる技術もない中での描画ではあるものの、「広大な宇宙」をも、北斎自らの視野の内に入れたような、迫力の再拡大を感じとれるような印象を抱いた。
 1833年「諸国廻り」、1842年「弘法大師修法図」、1845年「怒濤図」と時系列に並べてみると、どれも北斎晩年の時期の絵画であり、なるほどさらなる高みへと、これでもかと登り詰めていくような印象を覚えた。
 最後につけ加えると、天才絵師 葛飾北斎(1760-1849年)は、1999年アメリカの雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界゛の人物100人」で、日本人として唯一ただ一人、86位にランクインした人物である。
写真: 「新・美の巨人たち<テレビ東京2021.5.29放映番組>」より転載。同視聴者センターより許諾済。

「怒濤図」 葛飾北斎 1845年  上町自治会蔵 北斎館/管理  左:「男浪」右:「女浪」

「怒濤図」修復士により銅緑、ベロ藍を加えた復元絵画 
 葛飾北斎 1845年 上町自治会蔵 北斎館/管理

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」  葛飾北斎  天保2-4(1831-33)年多色刷木版画

陰陽説による「太極図」 「怒濤図」の「男浪」「女浪」の組み合わせにより、S字カーブが現れて、これが「太極図」のイリュージョン(意識的な錯覚)として暗示しているとする一つの推測

「諸国瀧廻り 葛飾北斎 天保4<1833>年頃」
北斎の代表作「富嶽三十六景」が出版された後、同じ版元・西村屋与八(永寿堂)から出版された全8図からなるシリーズ。

「弘法大師修法図」(1844-47年 足立区西新井大師・蔵) 北斎最晩年・88歳作品。(逝去90歳)


美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

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