生命感と宇宙的な広がりの躍動感を表出・・「南瓜」(草間 彌生 1994年作)

<番組からの主な解説コメントより引用>

世界を舞台に活躍し続ける前衛芸術家、草間彌生。

海に浮かぶ現代アートの島「直島」に、この作品「南瓜(かぼちゃ)」はパプリックアートとして存在する。

強迫神経症、幼少期になぐさめてくれた「南瓜」の存在が、彼女の中の原体験としてあった。水玉は、ミリオンの一点の粒子である私の生命として、宇宙の無限の広がりとつながっていく。

「水玉」をモティーフとした作品を数多く制作するなど、抽象的でありながら、動植物、人間、天体、都市など、多岐にわたるテーマに挑み、生命感と宇宙的な広がりを感じさせる。

絵画、コラージュ、彫刻、パフォーマンス、環境インスタレーションなど幅広いメディアを通じて芸術活動を行っており、その作品の多くは、サイケデリック色と模様の反復で表現される。

草間自身は、コンセプチュアル・アート、フェミニズム、ミニマリズム、シュルレアリスム、アール・ブリュット、ポップ・アート、抽象表現主義、オートマティスム、無意識、性的コンテンツなどを、制作の基本に据えている。

性と死、無限の宇宙、普遍的なテーマにもとづくこれら作品世界で、最も影響力のある100人」(2016年、米『タイム』誌)に日本人で唯一選出されるなど、今では世界有数の実力と知名度を誇る。

<番組を視聴しての私の感想コメント>

新国立美術館で開催中の「草間彌生 我が永遠の魂 」展へ、足を運んだ。

あまりにも、強烈な個性とキャラクター故に、最初は引いてしまう感覚を持ってしまいがちである。しかしながら、ひとたびKUSAMA WORLDの作品に浸っていくうちに、ぐいぐいと作品の中へと吸い込まれていく、なんとも言えない「浮遊感覚」が生じてくるのはなぜだろうか。

原色と限りなく続くデザインループは、観るものの誰もが、自らの主観以前の谷間に揺られつつ、いつのまにか草間の世界に引きずり込まれていく・・・。

宇宙からの異星人でもない彼女ではあるが、育った故郷が、長野であれ、東京であれ、ニューヨークであれ、同じような帰属意識といったものも、持ち合わせていないかもしれない。普遍性とアート、哲学とアートとの関係は、決して高みのものではなく、日常の周辺に「水玉」としてあるものなのかもしれない・・・

広大無辺の宇宙に浮かぶ地球。その中でたった一人の人間の生命。その生命を司る最小単位である「ひとつの細胞」。

これを、「水玉」に象徴させたとすると、ちっぽけな、たった一つの「水玉」。でも、かけがいのない、唯一の宿った「生命」。「永遠の魂」は、草間彌生の「魂」でもあり、私たち一人一人の「魂」であると。そこには、国境も、肌の色も、国籍も、政治、宗教さえも超越した次元で、「尊厳なる生命」なのであると・・・

歳を重ねるごとに、制作作品はどんどん進化し、新しくなっていき、止まるところを知らない旺盛な創作意欲。このことだけをとっても、世界から注目され続けるアーティストとして、草間彌生のアイデンティティは、年齢などということも超越し、生死を超えて、おそらくは微動だにしないのだろう。

写真: 「南瓜」(草間 彌生 1994年作)

   「美の巨人たち」テレビ東京放映番組(2017.4.15)より転載

      同視聴者センターより許諾済

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

本ブログは、「美の巨人たち」(テレビ東京 毎週土曜 22:00〜22:30) 放映番組で取り上げられた作品から、視聴後に私の感想コメントを綴り、ここに掲載しているものです。 (2020年4月放映より、番組タイトル名は「新・美の巨人たち」に変更)   ブログ管理者 京都芸術大学 芸術教養学科 2018年卒 学芸員課程 2020年修了 瀬田 敏幸 (せた としゆき)

0コメント

  • 1000 / 1000