いにしえの美の粋を演出・・「天平大浴堂」他 ( 新井旅館 伊豆修善寺 1934<昭9>年築)
(「新・美の巨人たち」<テレビ東京 2022.1.8放映>主な解説より引用)
中でも、樹齢1000年・直径2メートルを超える檜(ヒノキ)の大木を、惜しげもなく使って建てられた「天平大浴堂」(1934<昭和9>年築)は、もう二度と造れない唯一の「奇跡のお風呂」とされている。
設計に携わったのは、旅館の三代目主人の相原寛太郎と、日本画家の安田靫彦(1884-1978)である。
今からおよそ1400年前の、奈良・法隆寺にあった当時の食堂(じきどう)を模したもので、ほぼ原寸大でつくられている。当旅館の棟梁でもあった大川正平は、奈良・法隆寺を訪れ、徹底的に建物構造などの研究を重ねた。
この旅館は、この大浴堂のみならず、以下のほぼ全体の建物が「国の登録有形文化財」で構成されている。
1.青洲楼 2.雪の棟 3.渡りの橋 4.霞の棟 5.桐の棟 6.月の棟(平等院鳳凰堂を模した) 7.甘泉楼 8.紅葉9.山陽荘(日本画家・横山大観の居室兼アトリエとして使われた) 10.天平大浴堂(奈良・法隆寺の食堂を模した) 11.あやめの棟 12.花の棟 13.吉野の棟 14.観音堂 15.水蔵
これら全ての建物が、貴重な登録有形文化財となっている。
東海大学工学部建築学科教授の小沢朝江さんは語った。「安田靫彦は、奈良・平安時代の歴史的建造物に対する知識が豊富であったことや、それに対する憧憬・憧れがこの旅館に隅々によく現れています」と。
画家では、横山大観、前田青邨、安田靫彦ら、作家では、芥川龍之介(療養のため1か月間滞在)、尾崎紅葉(小説「金色夜叉」をここで執筆)、岡本綺堂(定宿として「修善寺物語」を執筆)、泉鏡花(「斧琴菊」を執筆し、この旅館の風情なども書き残している)など、錚錚たるメンパーが挙げられる。
三代目主人の相原寛太郎も、東京美術学校で学んだのち、自らも雅号「沐芳」として数々の日本画を描くとともに、日本画家たちの支援者となり、「新井旅館」は数多くの作家や画家たちにも、愛される旅館となっていった。
言葉も歴史も心も滲みる修善寺の「新井旅館」。画家と主人が創りあげた「夢の温泉王国」がここにある・・・
(本番組<2022.1.8放映>を視聴しての私の感想綴り)
コロナ禍が続いている昨今(2022年1月現在)にあっては、なかなかゆったりと湯に浸かることさえ躊躇われる雰囲気が、世間を覆っている現状である。
しかしこんな時だからこそ、古(いにしえ)の歴史を振り返り、小説の世界に身をゆだね、さらには、美の粋がエッセンスとしてさりげなく散りばめられている「新井旅館」のような情緒あふれる旅館に、一度でいいので泊まってみたいと率直に感じた次第である。
実際に、足を運び泊まってみないことには、「新井旅館」そのものの本当の感想や感激というものは語れないものの、簡潔に3点挙げてみたい。
① 天平大浴堂について
樹齢1000年を超えるヒノキの大木に囲まれた浴槽、そしてそこの湯に身を浸してのお風呂の居心地というものを想像するに、「ここでしか味えない唯一の風呂」への願望が芽生えた。どこにでもある、いくつもある、いつでも入れるというものではない、「唯一の奇跡のお風呂」に入る「希少性」「唯一性」「独自性」という魅力に触れたいという願望である。
個人的に「いい温泉」と聞いて思い浮かぶのは、登別、箱根湯本、強羅、湯河原、熱海、伊東、草津、下呂、白浜、有馬、道後、和倉、由布院、城崎、有馬、別府、雲仙、霧島などであろうか。
まだまだ他にもたくさんあるが、これまでに行った温泉もあれば、いまだに行けない温泉も多くある。修善寺温泉も行けていない、ただし、とても行ってみたい温泉の一つであった。この番組を視聴して、尚更に行きたくなった。しかも、「新井旅館」指定であるのは間違いない。
作家や画家たちが、この旅館のどこに惹かれたのか。
おそらく私の想像ではあるが、そこに身をゆだね、身を置いたときに感性が共鳴する
「自然とともに抱かれているという生命の静寂性」
「ものを書き、絵を描く際に与えられる、外からの自然環境からの刺激と一体感の希求」
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