縄文が語る世界と日本人(「国宝・火焔型土器」縄文時代中期 / 笹山遺跡出土)
(「新・美の巨人たち」<2021年11月13日テレビ東京放映番組> 主な解説より引用)
縄文(JOMON)時代・中期に造られたとされる「火焔型土器」は、新潟県十日町市にある笹山遺跡より出土された。
旧石器時代と弥生時代に挟まれた「縄文時代」は、およそ1万年という長大な時間軸になる。弥生時代から現在までが、およそ2400年間として約4倍もあることになる。
この「火焔型土器」、どこから見ても「なぜこんなカタチをしているのか?」と誰もが最初は疑問を持ってしまう、それほど360度どこから見ても、細部へのこだわりが素晴らしい。
火焔型土器を中心とする土器、石器、ベンガラ塊(928点)は、1999(平成11)年に国宝指定となり、十日町市博物館に収蔵されている。また、これまでの調査から、縄文人の平均身長は男性158センチ、女性149センチで、平均寿命は46歳と推定されている。
岡本太郎は、かつて著した「縄文土器論」の中でこう述べている。
「縄文土器の荒々しい、不協和の形態、紋様に心構えなしに触れると、誰もがドキッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは、言語を絶するものがある。
激しく追いかぶさり、重なり合って隆起し、下降し旋回する隆線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。
しかも純粋に透った神経の鋭さ。常々、芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」と。
そして、火焔型土器と縄文人を想像し推測して、「あれは深海のイメージだ。縄文人は深海を知っていただろう。航海もしていたはずだ」と語った。
また、国立歴史民俗博物館・科研費支援研究員で、岡本太郎記念館・客員研究員の石井 匠さんは、
「いわゆる日本の美というのは、弥生的な埴輪的な、端正なプロポーションの文様もさりげない、穏やかなそういったものが<日本的な美>として捉えられていた。そうではない全く対局のゴテゴテした奇怪な形をした縄文土器というものが、<これこそ日本だ!!>と気づいたのが、岡本太郎が初めてと言っていいのでは。そこからいろいろな人に伝わり、一般の人たちも注目するようになった」と語った。
縄文デザインの多様性は、食用鍋としての機能も果たす一方、祭祀としての祭りごとや神に仕える供物としていくうちに、だんだんと複雑な形になっていったとも推測される。
今回のアート・トラベラー本仮屋ユイカさんは、「いただく命に対しての感謝とか、それがまた自然に還っていく。祈りのためのモチーフなんじゃないかな。だからこそ、生命の巡りを感じるような力強さとか、愛とか、何か祈りのパーツがいっぱい含まれている土器なんじゃないかな・・・」と、番組の最後に感想を述べた。
これまで、というか私は若い頃から、「日本人の起源はどこから?」といった素朴な疑問と好奇心を持ち続けてきた。日本人のルーツ、アイデンティティといった点であった。一方縄文人や縄文時代のことは、大抵は学校の「日本の歴史」や「日本史」といった科目の中で、誰でもが「歴史の知識」として学んだに違いない。
本番組を視聴して、今回改めて縄文土器、とりわけ「火焔型土器」の奥深さとともに、「日本的な美」に照らしての縄文デザインとの比較での違和感や、日本人の起源という点で、とてつもなく長い期間を貫く「縄文時代」と「日本人のルーツ」といったことに刺激をもらった。
日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く居住していた縄文人と、その後に大陸から渡来した弥生人が混血したことが、DNA解析などから裏付けられてきている。
また、核DNA解析による縄文人、弥生人、さらには、アイヌ、沖縄といった地域での遺伝的な関係性と類似性など、より科学的・遺伝学的な解析とエビデンスをもち、日本人の先祖の流れを辿ろうとしている研究も、盛んになってきている。
その意味からは全くアカデミックではないものの、率直な問題意識というか、興味、好奇心を以下の3点に整理し、考え感じたことを綴ってみたい。
この点については、少なからず大きな影響を与えているに違いないとは思う。ただ、西日本、北海道のアイヌ民族や沖縄といった地域までとの関係性を紐解くと、果てしなくフィールドが広がるため、日本列島の中域に位置する現在の新潟県を中心に、出土した縄文土器を取り巻いていた日本人(これが平均的な日本人であるとどうかは別として)の生態に、とても興味をもった。
岡本太郎氏が、土器は「深海のイメージ」、この土器を造った縄文人は「航海もしていたはず」と推測していた点も、興味をそそる視点である。つまりは「日本人の祖先<原点>は、縄文人にある」と言い切っていいのかどうか・・・
縄文デザインが日本人のデザイン感覚の原点・ルーツであるとしたら、なぜ後世の弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安時代、とりわけ弥生土器の形態に見られる、穏やかな、端正な、埴輪的なプロポーションに、突然といってもいいくらいに切り替わってしまうのか。そして、その後の時代も弥生時代の文化的な影響を継承していく流れになるのはなぜなのか。縄文文化・デザインはどこへ行ってしまったのか・・・
③22世紀、23世紀に生きる日本人の姿とデザイン性はどう変わっていくのか
そもそも、そんな先の地球や世界の存在も、地球環境や地球温暖化の多大な影響などからすると、想像することすら危ういのかもしれないが、歴史の時間軸に照らすと、果たしてどのような世界が見えてくるのか。そもそも、グローバル化の進展に伴い、ナショナリズム的な文化や生活様式などは、デジタル化の更なる進展などにより、ますます均一化・共通化・統一化の方向に向かうのか、地域の固有の文化やカルチャーの独自性や個性などといったものが、より鮮明になる時代を迎えるのか・・・
令和3〜4(2021〜22)年、コロナ禍との共生を余儀なくされている現代という時代そのものは、われわれに何を問うているのか、そんなことまで思考や空想が自由遊泳しはじめた・・・・
写真: 「新・美の巨人たち」<テレビ東京放映番組>より転載。同視聴者センターより許諾済。
国宝・火焔型土器 (縄文時代・中期 笹山遺跡出土 新潟県十日町市博物館所蔵)
弥生土器 (長野県立歴史館所蔵)
縄文時代期間と現在までの期間との大まかな比較表
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